2004/3月号


「手打そばを打ってみよう」
そばの大好きな方は一度や二度、自分も「手打そば」にチャレンジしようと思ったことはおありと思う。
 「さあ!やってみよう」と思うと、やれ道具がない、材料はどうしたらよいかと思案に暮れ、結局やらないことになってしまったという方が多いかもしれない。筆者もそうした一人で、何回かやってみたが、技術的に勿論未熟なためと根気良く習熟する意欲にかけるようで未だ低レベルである。

 しかも出来上がったそばは水分過多で切り方もうまくいかず、幅・厚みも不揃いで、いわゆるドジョウそばとなってしまう。ただ、割りも多くし、よいそば粉を選定したこともあって、コクと風味のある美味なる“そば”であった事は確かであった。

そんな時、ちくま新書の石川文康氏による“そば打ちの哲学”という書物に出合った。
 書店や図書館の棚には沢山の手打そば指南書が揃っているので、別頁にてご紹介するが本項では石川文康氏のそば打ちの哲学に従って稿を進めてみたい。

 石川氏は無類のそば好きで、仕事上ドイツ等に長逗留するときは、日本を出発するときそばの食い溜めをし、帰朝すると最先にそば屋に飛込むというこだわりかた。勿論そばに関する蘊畜も多く、その上自ら手打そばを打ち、家族や親しい知人達に振舞っている。そもそも「そば打ちは“哲学”だと大上段に振りかぶっている訳でなく、ごくごく自然にそば打ちを楽しみ、そばを口にするまでの工程の中にその極意に触れることができる。」という意と解釈したい。

 少し氏の本文序章を紹介する。
『本書では、手打そばのもつ魅力や奥行きを、実際に手打の立場から探り、それを通して普段見過ごしているさまざまな問題や背景を探索してみたい。哲学を専門としている者の目からそば打ちを見た場合、どんな新しい魅力が見つかるか。そばを哲学と結びつけるのは意表をついているかもしれないが、「チェスの哲学」や「切手収集の哲学」そしてヘリゲルの「日本の弓術」は「弓道の哲学」と言えるし、デカルトの処女論文の「音楽論」は「音楽の哲学」とも言える。そんなことから単なるそば愛好家の筆者が生意気なことを書いても、そばの専門家、職人の方々に対しては常に最大の敬意を払い、彼らから学ぶことを喜びとしているのでお許し願えると思う。』と氏はそば打ちの中に食を通した人間の生活の讃歌をうたっている書と思う。

 哲学とはいかにもいかめしいイメージを与えるかも知れないが、こだわりの広辞苑によれば、
『PHILOSOPHYとは「愛知」という意で、人生・世界の究極の根本原理を追求する学。事物の根本又は最高の原理を取扱う学』とある。
 
第一部 そばとのダイアローグ
第一章で そばを打つことは…リズムの世界に浸るようなものである。人の生活も自己の体調や、季節や天候によって違いがあり、それぞれのリズムを持って対応する。そば打ちも全く同様で、粉に合わせて、水(温度)や時間そして作業を考え、茹で時間に至るまで求められるリズムでもって仕事をする楽しさがあるという。そばを打つ自分が指揮者であるとすれば、そばは主役で第一バイオリンであろうし、だいこんおろしや、ワサビは名脇役でトライアングルであったり、シンバルなのであろう。

第二章では そばつゆを仕込むことは…ハーモニーの世界であるという。
醸造という過程を経て出来ている醤油に、砂糖や味醂、天日で干され青かびに幾度か洗練されたイノシン酸を含む鰹節から出来るおいしい「そばつゆ」はハーモニーのなせる傑作でなければならない。自然が醸成してくれたそれぞれの食品の最もよい味を引き出すのには、その割合や熟成に必要な時間をかけることが要求され、そうしたハーモニーの差によって醸しだされる味は千差万別のものとなる。
それだけに出来上がった「つゆ」が絶賛を受けた時の至福感は筆舌には表せないだろう。

第三章で 粉を挽くことと石臼のおもしろさを説き、粉は生きている、シューベルトと石臼のこと、ドイツの石臼と日本の石臼の違い(切込線が曲線と直線)等が哲学者らしい観察で述べられている。

第四章で 趣味としてのそば
『趣味の目的は趣味自身であり、このような目的は自己目的と言われ、したがって趣味は自己充足的である。利益や成果の実現を目的とする仕事とは違って、趣味の場合はプロセス自体が目的であって、結果は二の次である。従って趣味は「遊び」であり、「戯れ」である。』
結果は二の次であっても、幾度か回を重ねるうちにうまくなるであろう。打ったそばを喜んでくれる人が増えてくれば、自分の喜びも倍加していくのであろうと当稿の筆者は考える。思いきって「そば打ち」にチャレンジしてみては如何?
尚この部では紹介する哲学思考のみならず、そばの由来・種類・歴史・製粉法・食し方等についても記述されている。

 第二部の「そば十景」では、石川氏がそばで体験したことやそばにまつわるエピソードが綴られている。筆者が心を打たれたのは第五景、“日本のお家芸”の頃である。
日本のお家芸の代表的なものに、柔道がある。昭和39年東京オリンピックで柔道は正しく日本の独壇場だったが、最後の無差別級で世界の柔道界に突然現れたオランダの怪物ヘーシンクに日本の切り札として出場した神永昭夫五段が決勝で敗れたことは、日本の柔道界を悔しがらせたが、日本のお家芸の柔道が世界の共有財産となった。神永五段は勝負では銀だったが、彼はそうしたことを一言も発せず、沈黙を守って「金」に値する態度をとりつづけたという。
 話はこのことだけでなく、神永五段が無類のそば好きだったことである。
 晩年、神永五段は病に倒れ、闘病生活を送っていた。直腸癌であった。不幸にして病状は悪化の一途をたどって、臨終の前に最後に食べたのがそばであった。
 彼は既に肉声を失っており、駆けつけた実兄が彼の所望が「そば」であることを解読し、兄はよほどうまいそばを食べさせたかったが、真夜中のことで近くのコンビニで買ってきたそばを口に含ませた。
「おいしい」それが彼の最期の言葉だった。この「おいしい」も手話であった。右手の指で円を作り、表情が和んだ。享年56才である。兄は弟が何故「そばをたべたい」といったか「魂は故郷に戻っていたようだ」と供述しているという。彼はヘーシンクのことを思っていたかもしれない。なぜなら神永五段は滞在中にそば好きになったヘーシンクとよくそば屋に通ったときく。
 そばを通して、スポーツで結ばれた男の友情の奥深さ、故郷で食べていた蕎麦(食)が原体験ともなっていて、兄弟愛が育まれていたことなど、読者の心をうつのだろうか。

 そば打ちに哲学がなければなど難しく考えないで、好きで、趣味で、そのプロセス自体を楽しんで蕎麦を打ち、そばと親しんでください。その真剣なこと自体が哲学的な行動であるから。又、街にも大勢の蕎麦屋さんがおいしい蕎麦を用意して待ってくれています。

 手打蕎麦については、又別のアプローチでご紹介したいと思います。

 
【参考文献】
手打そばの指南書
* そばの本 蕎麦さろん編 陶磁部Books・双葉社 @1,500
* 誰でも出来る「手打そば」家庭で楽しむ蕎麦料理 服部隆 農文協 @1,238
* 手打ちそばは天下一品 池田 好美 創森社 @1,238
* 手打そばの技術 片倉康雄 旭屋出版 @12,000
* そばうどん技術教本 第一巻 柴田書店 @4,000 
  監修 日本麺類団体連合会
* ひとりでやさしく出来るそば打ち 合同出版 向山玉雄・榎本桂子 @1,300
* 日曜日の遊び方   藤村和夫 柴田書店 @1,165
  手作りのそばうどん
* 男のためのそば打ち入門 日本放送出版 @1,000
* はじめてのそば打ちを楽しむ 講談社 @1,800
* 男がつくる手打そば入門 成美堂出版 @1,500
* 日曜日に楽しむ「そば打ち」 井上明 エクスナレッジムック @1,500



10冊の「手打そば手ほどき書」をご紹介しますので、適当な書を選んで試してみてください。

 



▲石森製粉HOME