2003/6月号

 ちょっと古くなるが、2002年1月4日、朝日新聞の朝刊に“そばの主張・うどんの言い分”という新春ツルカメ対談の記事が掲載されていた。
 昨今、関東圏ではセルフの讃岐うどん店が急増し、うどんがブームとなっているので、もう一度読み直してみた。
 そば派は作家の嵐山光三郎氏、うどん派は銅版画家の山本容子さんで結構面白く拝読。
 嵐山さんは42年東京生まれ、チャキチャキの江戸っ子である。『小学生の頃(9〜10才 S.27〜28年か)ゆでめん一玉10円、てんぷらが10円それにつゆがかかるとぱっとほぐれて豪華で安いよね』とめん体験を語る。

 山本さんは、52年埼玉生まれの、関西育ち。『私はうどんですね。関西だから。昔はうどん玉を家族の人数分買ってきて。私はきつねウドンが一番好き。だけど大阪のあの甘く煮たきつねじゃなくて京風の刻みのきつねうどんが好きだった。ネギは青い九条ネギでなきゃだめで、九条ネギとおあげを味付けしないで細く切った・・・・・・・』と述べる。
 更に―山本さんは大阪の頃、毎日うどんを?の質問に『そうですね。うどんとかやくごはんとか。うどんとごはんとか」嵐山氏「山本さんはうどん娘。』と断じる。
 両氏とも幼少時代の食生活の原体験をひきずって現在に至っていることが判る。
 夫々に長じて生活環境が変わる中、うどんやそばに出逢ってその食生活の中に入っていく。
 山本さんは『いとこが大阪でそば屋を営んでおりそれと結婚した相手がそば好きで、手打ちそばを打つ・・・それでここ5年程そばに厳しくなった。』→今はご主人がそばを打ち、隣でかき揚を揚げる。
 嵐山さんは『就職したあと、大阪や京都で、コンブとサバの透明なダシで、薄いこはく色のを食べてうどんに目覚める。』
 お二人とも自分のめん食習慣をベースにそば・うどん別の食文化を認めていく。
 対談は更に続き、讃岐のうどん店の安くて豪華なメニューの話。壷井 栄の「二十四の瞳」の中に大石先生の教え子が奉公先の高松うどん店で『てんぷら一丁ッ!』というシーンに泣けたとか。池波正太郎の小説の中で鬼平が『じゃ!あられそばでも食おうか』というとその中に物語があるという。

 司会のオピニオン編集長 上村洋一氏が
―そばは自己主張をする。個性を主張するというか。これに対してうどんは具と汁の調和の世界。うどんすきなんか見ると「和をもって貴しとなす」みたいなところがある。
即ちそばは哲学、というひとがいる。するとうどんは大衆文学―
 嵐山氏:『哲学って言っちゃうから油断がありラーメンに負けちゃう』
 山本氏:『哲学にしないで、生活学で。夫婦円満のもととかそっちに置きかえると生き延びていけるんでしょうかね』
 単純な言葉だが示唆に富んでいる。

 そば業に関連してる身にとっては“そば”は日本古来の食べ物で、栄養価もすぐれ、歴史的にも愛好されて来ている中、粋なそばを単に哲学的思考で食するのではなく、生活の中で白いそばも黒いそばも「そばちゃん!」と呼べるような、生活密着型の食べ方やメニューを考えていくことが大事であろう。
 嵐山さんも山本さんも頑是ない子供の頃からそば・うどんが身近にあって楽しんで現在も大好きな食べ物である。
 即ち食生活の習慣の重要な柱であった。

 蛇足で対談の締めくくりを紹介する。
 ―人生最後の食事がそばかうどんだったとしたら。
 山本氏:『私はうどん。京都の細い丸い、どっちかというとふにゃふにゃの。ちっちゃい手のひらにのるくらいの小さい器に、刻みのきつねと青い九条ネギがあふれんばかりに入っていて。』
 嵐山氏:『そば。最後のめしがうどんだったとしたら一生の不覚だね。』

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