2003/5月号

 今月は少し脱線しながら稿をすすめるここをお許し戴きたい。だいたい“蕎麦(花・実)”や“蕎麦食”の風雅性・趣とは何であるか。定義的なものもないまま筆をすすめなければならないためでもあります。
 過日、名古屋市の公会堂で、木津川 計先生(立命館大学教授)の講演会を聴くことがあった。会合は、愛知県高齢者大会の催しの一つとして“高齢期を楽しく豊かに”という演題であった。先生いわく「これからの老年者は趣味人であれ」と説く。そもそも“趣味人”という言葉は『広辞苑』にも『講談社 日本語大辞典』にも出ていないのがお気に召さない。きっと来年か再来年の第六版に出る筈と予告しながら、趣味人たるものはと話がはずむ。

 ↓↓『趣味人』とは↓↓
 1ツ・・・風雅を愛する人
 2ツ・・・清貧を好む人(清福と改字)
 3ツ・・・悠揚せまらざる人
 4ツ・・・人生を楽しみながら生きる人

と、四つの要件を整えた人のことであり、これからの老人(殊に今日、会場にいる人達)は昭和の激動期に働いて来た人であり、慌てず・騒がず、悠揚せまらざる如く、花鳥風月を愛で、詩歌にも親しみ、ゆっくりと人生を送るとよい。酒は一人で静かに飲むべし。日本酒がいい。徳利でカンをして肴は沢山ではなく一品料理がいい。かまぼことか塩辛とか。ごはんは麺がいい。それも脂でゴテゴテしたラーメンでなく、さっぱりとした蕎麦がいい。蕎麦は“ざるそば”が似合うときた。
 会場がどっと来る。先生の語り口調もよく、身振り手振りと話の展開が聴衆を魅了した。
 更に話は続く。
 清貧であれ、本来は人は清く美しくありたいも欲張らずに、余り気を遣いすぎず、自分なりの人生を送るとよいという。・・・しかし貧は意味が違う。『清福』に変えよう、という。
 先生の話だけでもつきぬ話であるが、まとめると健康で、自然を愛し、清福で、社会とつながりを持ちながら、趣味(風雅な)等で張りのある生活をおくりなさいと説く。
 さて、ざるそばである。趣味人の好むところ大いに共感である。
 風雅=蕎麦 ではないが、風雅の世界の中の一角を占めていることは確かではないか。

 ↓↓『風雅とは』↓↓ 再び広辞苑の登場
 @漢詩の広義中の国風と雅
 A詩歌文章の道。文芸
 B芭蕉の一派は俳諧のことをいう。
 Cみやびたこと。俗でないということ。文雅。風流。

とあって、多角的であり因に、雅とは(「宮び」の意)みやびていること。風流、風雅、上品とある。更に雅ぶとは上品で優美である。しとやかに気高い。風流である。いやしくない。とある。
 “ざるそば”が風雅の一角を占める理由の一つに、その供させる器類の雅さと添えられた菜類の香り、そしてその色彩の端正さにある。
 例えていえば、黒の輪島塗りの盆に、竹造のせいろ籠にやや白っぽい更科そば(配膳配色の違いでしっとりとした黒い田舎そば)が盛られ、伊万里焼の猪口と、益子か備前焼のそばつゆの壷がのり、添えられた香辛菜に江戸前のきざみ海苔、清流のせせらぎを覚える山葵と薬味ねぎ・・・箸は青っぽい竹の箸か・・・何ともいえない風味を感じませんか。
 もう一つは、日本古来の食物で故郷という。郷愁感、白い花が咲く美しい田園風景等も
わび・さびの世界へ誘う。
 好きな方は“そば”の食前に板ワサか卵焼きの一品料理の“肴”に、どこかの銘酒を熱燗で薄手の平たい盃を傾けて頂く。床には蕎麦の花でも活けてある数寄屋造りの小座敷で、初老の夫婦連れがこんな形で蕎麦を楽しんでいる。一幅の
わび・さび・風雅の絵であるかもしれない。そばはこうした食文化性も併せ持っている。
 食事はやはり落ち着いてゆっくりと味わうものではないだろうか。
 スピードのある現代社会はスナック性食事でテイクアウトのハンバーガー、バー式のラーメンショップ。立喰いそば等が活用されている。筆者も仕事で車の中でオニギリや、すし・パンを食べながら目的地へ急いだことを思い出す。“たかが昼食、されど昼食”で、朝・昼・夕の食事も出来ればゆっくりと摂りたいものである。
 ラーメン・パン類でも風情のある食事形態もあるであろう。が蕎麦の食事はもう少し違った郷愁感などを感じさせるものをもっている。

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