2003/2月号

 “そば”をセイロかザルで召し上がるとき、『そばつゆ』を入れる器を『蕎麦猪口』という。
 地味な色彩で、高さ6〜7cm、口径7〜9cm位な小振りな器である。
 いつの頃から人々が愛用するようになったのであろうか。そばを語るについて、少し薀蓄を貯えてみましょうか。

 
アプローチ T  ―広辞苑―

 猪口(ちょく)・・・「鍾」の入声(にっせい)の字音、また福建書、また朝鮮音ともいう。
    @陶磁器で、形小さく上開き下すぼみの酒杯。ちょこ。さかづき。のぞき。
    A本膳料理につく小丼、又は刺身・酢のものを入れる小鉢がある。
 “ちょこ”は大陸系の発生音であり、それを“ちょ→猪”としたものと筆者は推定する。

 
アプローチ U

 民俗学者−神崎宜武氏はNHK BOOKSの“うつわを食らう”―日本人と食事の文化―の中で、『朝鮮半島には「鐘甌(チョング)」とか「鐘子(チョンスー)」という言葉があり、鐘を逆に向けたかたちの器、つまり壷状の小鉢のことで、これが猪口の原型か語源と考えてよいだろう。ただし、朝鮮半島では、日本ほどに日常的になじみが生じなかったようだ』と記されている。

 因みにいろいろな陶磁器の本、写真集などを紐解くと、秀吉がひき起こした文緑・慶長の役といわれる朝鮮侵略戦争 1592〜98年(朝鮮側では壬辰倭乱と表す)は別名「せともの戦争」といわれ、半島を侵略した大名達(殊に九州・中四国)が競って朝鮮人の陶工達を連行し藩毎に窯場を作って陶磁器の生産を促進した。
その代表的なものが磁器発祥の地といわれる有田であり、氏は更に『江戸期の猪口は、ほとんど例外なく有田産の染付け磁器であり、形態は口が広く尻がしぼんだ形が多く、他に筒状のもの、八角のもので、様式の多くは「古伊万里」といわれるものであると訳す。

 そして江戸時代に入って、日本の陶磁器は世界的にも優秀な作品を産するまでに発達していった。当然、食事の際、従来使われていた木製の漆器の中に組込まれ、膳の主役となっていく訳である。当初はハレの日の会席料理に使われるが、時代を経ての日にも登場するようになり、江戸期に於いて、セイロ・ザルの蕎麦食にも普及するようになったと想像できる。
  • ハレ(晴・霽)・・・・・おもてむき、正式、公
  • (褻)・・・・・公でないこと、ふだん、常

 磁器類から始まった猪口も「ケ」に使用されるようになって、安価な陶器ともなり全国にちらばっていく。九州から海路で関東・関西・北陸・東北方面にも移出されていったと思われる。

 世が豊になり、庶民も骨董品に興味をもち、古伊万里だ!波佐見だ!と珍品を求め、北陸地方には掘り出し物があるとか情報があふれている。価格も一容500円〜30,000円と千差万別である。
 インターネットで“蕎麦猪口”を呼び出してみると、1400件ほどの情報がある。いくつか開いてみると、頒布品の宣伝であったり、有名蕎麦店の紹介であったり、磁器資料館の案内であったり、でもとても見切れない。
 そばを注文し、出された膳のチョコに“つゆ”を入れ香辛料、ネギ類を入れて箸をもつとき、なんともいえぬ風情と安らぎを憶えるのは筆者だけではないと思う。

 
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