2003/1月号

 そば・ソバ・蕎麦という文字のことを考えてみた。広辞苑、植原先生や、新島先生の辞典、事典に頼る事が多いがお許しを戴く。
 先ず余談から入るが、その昔、“からたち”というのはどういう字を書くのかな。どんな意味なのかなと考えた。北原白秋の“からたちの花”を子供の頃歌って、「白い花だよ」「刺が痛いよ」・・・とあったが、まるで“からたち”を知らなかった。樹木を観察するようになって、偶然“からたち”を人に教えられてみつけた。
 暫くすると、なるほど“白い花”が咲き、枝等に痛い刺がある。そんなとき、どういう字を書くのかなと考えている時、文字を推考し、意味を考えた。(すみません辞書をひかずに・・・)
 又暫くすると実が出来た。まるで“みかん”の様である。採って家で包丁を入れてみると、まさしく“橘”である。ふっと考えて“唐(中国)”から来た橘で“唐橘”と考えた。植物の語源集を紐解くと推考通りだったので大喜び。
 広辞苑には“からたち”は枸橘・枳殻とある。中国・朝鮮が原産で九州地方では畠作物の盗難除けなど生籬(いけがき)として利用されている。
 
 以下 広辞苑より
 ●そば(蕎麦)=たで科の一年生草木。茎は柔軟・平滑で直立、高さ約50センチ。葉はほぼ三角 状心臓形。初秋の頃、花茎を出し、多数の白花を総状につけ山稜形の黒い皮の果実を結ぶ。果実の胚乳で蕎麦粉を製する。

 ●そば(稜)=物のかど。

 ●黒麦=くろむぎ(蕎麦の異名)
  広辞林でそばむぎを紐解くと、蕎麦《稜麦(そばむぎ)の意》そばの古名・・・・とある
  そば製粉業界では、蕎麦の原料(果皮をむく前)のことを“玄蕎麦”と呼ぶ。三角形をした果実は焦げ茶(ブラウン系)の種子もあるが、概して黒く、玄蕎麦である。黒は俗字で玄は正字で、天の色とされ、かみ(上帝)とか奥深き理、かがやく(Rく)という意味があり、玄の字は格調の高い文字のようである。作家 宮城谷昌光の著書の中でも“玄”の字の詳しい説明がある。
  稜(そば・りょう)の字はかど(角)という意といきおいを表わす意で、そばの実の三角形にとがった形から使われることもあった。


 ●=きょう、高いところという意
  灌木(低い木 2m以内)に対し喬木(きょうぼく)高い樹木の如くであるが、蕎麦はせいぜい70〜130cmであり、高くない。類推するに高い土地で生殖していることから喬に草冠をつけて蕎(蕎麦)としたのではないか。
  蕎麦はタデ科であるのにイネ科の麦の字を当てたか。果実から採れる粉が、麦からの小麦粉によく似ていたからではないか。こう考えると、蕎麦、稜麦、玄蕎麦は高地で白い花を咲かせ、玄玄(くろぐろ)とRくような果実をつける高貴な植物と人々は考えたのではないか。蕎麦とは何と良い名であろうか。
植原路郎先生の『蕎麦事典』をご紹介する。

 
 ●ソバ=「そわ」の転訛か。山の険しいところ、山峡。岨の意で高冷高地山々の迫る所に生育する意であろう。
  日本では古くから「倭名類聚抄」(源順)にあるように曽波牟岐、久呂無木とかかれ、曽波・曽麻・曽布の文字も当てられる。
  木麦・花蕎・花麦・陪麦・甜麦などもソバのことである。―――中略―――今日、中国では三角麦、 花麦、菽麦の文字が使われ、普通種は甜蕎、韃靼種は苦蕎という

  更に新島 繁先生の『蕎麦事典』には、蕎麦という漢字の所見は明らかではないが延喜18年(918)の『本草和名』に曽波牟岐、延長8年(930年)の「倭名類聚抄」には久呂無木の訓読みが見られる。

 書物の説明を広辞苑より
 「倭名類聚抄」源順著、我が国最初の分類体漢和辞書。漢語を24部、百二十八門に類聚して、音・意義を漢文で注し、万葉仮名で和訓を加え、文字の出所を考証・注釈した書。
 醍醐天皇の皇女勤子内親王の命によって撰進全十巻本、後世十巻を追補。
 「本草和名」本草約1025種を集録し、注訳した書。2巻、大医博士深江(1に深根)輔仁の撰

 いつの頃か、中国大陸から蕎麦が渡来し高地山地に植生し、白い花をつけ、玄い実をつけた。文字は『蕎麦』で呼び名は岨(そわ)・・・転訛して“そば―くろむぎ”と呼んだのであろうか。先人達は苦心して事典を作り後世に残してくれた。
 そばがきやそばを味わう時、蕎麦の遠い昔の何かロマンを感ずるのは筆者だけでしょうか。


 

【参考文献】
  • 広辞苑、広辞林、字源(大正12年 簡野道明著)
  • 蕎麦事典―植村 路郎 著
  • 蕎麦事典―新島 繁 編





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