2002/8月号

 江戸そばを食べるとき、江戸っ子の見栄っ張りのそば好きがいまわの際に「あぁーそばをたっぷりと“つゆ”につけて食べたい」と云ったということを思い出し、遠慮なく浸して食べたい。それほど甘辛い味はうれしい限りで、その中に砂糖は重要な要素。
 日本の砂糖の歴史を紐といてみたい。
 動物は生きていくのに糖類は必要である事は論ずるのはさておき、筆者等は血糖値が低めで過激な運動のあと急に血糖値が下がって苦労する事がある。古代の人達は著とか草根類の澱粉から糖質を摂取していたが、砂糖が採取されるようになって食文化は豊かになり、我国でも輸入に頼っていた時代から国内生産ができるようになり料理類は飛躍的に発達する。江戸そば文化の開花は砂糖の普及時代と時を同じとする。砂糖・醤油・鰹節がそばの大きな脇役である。
 歴史的記録では日本渡来の最初は754年(宝勝6年)唐招提寺で有名な鑑真上人が唐から入国する時の船荷の中に砂糖があったという。
 江戸時代まではポルトガル・オランダ辺りから1000t前後(筆者・推計)輸入されていた。その頃は薬用に使われ貴人達の菓子類にも使われていたのだろう。1610年奄美大島の住人が中国に漂着し、帰路に甘庶の苗を持ち込み栽培を開始した。薩摩藩が生産管理をし1713年には大阪へ出荷をしたという。
 徳川吉宗(1684〜1751年)が生産を奨励、時を経て1790年(寛政2年)讃岐高松藩が製糖を開始、1800年(寛政12年)紀州藩で100万斤の砂糖が生産されたという。前後して駿河、遠江、阿波、讃岐でも生産され、天保年間(1830〜1844年)には約5000万斤(30,000t)の量となったと記録されている。
 参考に↓
日本で生産された砂糖を「和糖(三盆白)」といい三度揉んで白くしたという。
 現在でも、四国地方で「和三盆」という家内工業的伝統技法で作られた三盆白の砂糖があり、粒子が細かく適当な湿り気があって煮ると粘りが出て上品な甘さがあり和菓子の材料にもてはやされている(糖度94)。
【参考文献】

 ●広辞苑
 ●藤村和夫著「麺類杜氏職必携」 ハート出版




▲石森製粉HOME