2002/2月号

 徳川幕府が開府され、江戸の将軍の膝元に各藩の大名はその家族(人質の役目)を置いた−外様大名対策−参勤交代や、不祥事を起こしたとして改易、国替が幕府威光により度々行われたことは歴史の事実である。 なぜ、蕎麦アラカルトに参勤交代が出てくるのかと訝(いかぶ)る向もあるかもしれませんが、この制度が日本の食文化の拡がりと発展に大きく役立ったからだと考えるからです。


 そば食文化もその影響を充分に受けています。17〜18世紀は未だ一般庶民は食そのものも貧しかったが、上流階級では美味追求は結構盛んであったであろう。
 参勤交代をしている殿様や奥方が国許のおいしいもの、例えば生魚の河豚を食したいとか、季節の山海の珍味を欲しがった時、家子郎党の者に早馬や、急行便で届けさせたの、船便で生 に生き魚を入れて運ばせたりすることは至極当然であろう。 おいしい蕎麦≠将軍に献上したりしたこともあろう。信州をはじめとする各地の蕎麦料理が江戸(城)で食されたのではないか。
 
もう一つは国替である。信州・松本の松平氏が出雲に国替となった。殿様と移住した武士たちは故郷のそばが懐かしい。出雲地方も当然そばは栽培されていて、出雲そばが出現する。八代目の殿様はそば好きで有名であった。

 三代将軍家光の弟、保科正之は信州・高遠3万石の殿様であったが、福島藩経由で会津藩23万石に移封された。信州・高遠のそばの風習が自ずと会津へも移植された訳である。現在でも会津そばと呼ばれ、辛い大根おろしを使ったものが愛好されている。

 このようにそばの食べ方等も各地に伝承し、地元のそば食習慣と混じり合い、独特のそば文化を築き上げてきたと言ってよい。そんな訳でわが身の味覚感とビッタリあったそばを食べたとき、なんともいえぬ故郷を懐かしく思い出すことがある。



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