2001/11月号

日本人がいつ頃からそば≠食べていたか、遺跡から推測するか、歴史の記述書から確認するかということになる。

◆遺跡
 まず遺跡であるが、静岡県の登呂遺跡から後期弥生式土器のほか、大麦、小麦、スイカ、そばの種子が発見されている。駿河の国は古代の遺跡の多いところで、急崚で水量の多い河川があり、海にも接した温暖なこの地に祖先の人達は住んでいたのであろう。登呂遺跡は(3000〜3500年前)と推測されている。余談になるが「駿河」の語源は各説あるが、日本アルプスから海岸線まで落差3000に及ぶ鋭い河(スル・・ガ)から来ているという説がある。
 尚、島根県からそばの花粉がみつかった記録があるそうで、これは6600年も昔のものという。歴史記述がある前から、日本各地に蕎麦があったと思われる。


◆歴史記録
一方歴史記録の方である。7世紀から9世紀にかけて、天皇を中心に神代からその当時までの歴史・神話の書である『古事記』や、わが国最古の官撰歴史『日本書紀』があり、続いて『続・日本書紀』『日本後紀』『続・日本後紀』と編纂されている。

 そのなかの『続・日本書紀』に蕎麦の記述が発見されている。西暦722年(養老6年)元正天皇(女帝)の詔勅の中で救荒作物として蕎麦の栽培を奨励している。
 元正天皇は天武天皇の孫にあたり、時は平城京に移って間もない頃、寺院をはじめ京の造成も盛んで国民の生活も困窮を極め、食糧不足は十分ありえる訳で、山上憶良の『貧窮問答歌』からも生活の様子が伺えるように食糧確保は国の第一命題でもあり、詔勅は  づける。後年(839年)に仁明天皇の時代にも、蕎麦栽培の奨励の詔が発せられたことが『続・日本後紀』に記載されている。このように日本人は古くからそばに親しんできたのである。

 

 


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