2001/9月号
日本独特の詩歌に俳句がある。元は俳諧連歌でその初句を「発句」と言ったが、芭蕉以後は五七五調が独立し、季語を入れて俳句とした。比較的作りやすく(本来奥の深いもので失礼)文人墨客に親しまれ現状に至っている。
 近代は正岡子規が俳句革命を行い、写生文を首唱し花鳥諷詠を旨とするホトトギス派をなしたが、氏の没後、自由律、季題の観念を撤廃する新傾向俳句が生まれている。

 余談はこの位で、俳句には季題の概念がベースになっており、蕎麦(花)は格好の季題であり、松尾芭蕉、小林一茶等、結構沢山詠まれている。ここで少しいくつか鑑賞してみようかと思う。
 
 
◆ 松尾芭蕉 『更科紀行』
身にしみて 大根辛し 秋の風 
そばはまだ 花でもてなす 山路かな
秋の風も、大根の辛さも心身に汲み入る歌、蝉の声ではないが
芭蕉は汲みる感が好きなようだ。

◆ 小林一茶
雪ちるや お駕にはこぶ ニ八そば 
国がらや 田にも咲きする そばの花
江戸店や 初蕎麦がきに はかま客
そば時や 月の信濃の 善光寺
しなの路や そばの白さも ぞっとする

   お駕とか、はかま客等庶民ばかりでなく、御殿女中か、武士達の層にも
そば≠ヘ親しまれていた様が描かれ、ユーモラス感をかもし出す楽しい句である。
   国がらや・・・は、米を作る田園にもそばを植えた二毛作がうかがえる。
◆ 与謝野 蕪村
鬼すだく 戸隠のふもとの そばの花
◆ 正岡子規
木曾近し 蕎麦と直白の 山続
◆ 『最新俳句歳時記』 山本健吉編
浅間曇れば 小諸は雨よ 蕎麦の花 

雪渓を 来し水走り 蕎麦咲ける
久女 

辰之助

◆ 『信濃歳時記』 長野県俳人協会編
捨てられし 姥かも孤り 蕎麦を刈る
  

奥木曾の 露に育ちし 蕎麦を刈る 
  

予後妻と そば刈り進む 減反田
富枝

柳石

山童
 予後=病み上がりという意。
   減反も農家にとってはつらい話で少しわびしい句である。
新蕎麦に 檜の箸の にほひけり  

汽車にらみ ながらかき込む そばの味
はじめ

眉丈
お読みになっていかがですか。やはりそばは日本人の心の中に根付いている。俳句の中では季題となっていて、花を見たり、刈り取る様から蕎麦への郷愁が詠みとれる。 季節は夏から秋へ、そして信濃を中心とした山間地の風景が偲ばれます。折角ですから拙(まず)い一句。

蕎麦の花 庭に咲かして 故郷(くに)想う




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